南5階病棟
今回、紹介するのは、A氏への看護を通じて、以下のことを再認識できた貴重な事例です。
●終末期の苦痛緩和を行うことが、患者さんの混乱を防ぎ、持っている力を引き出し、療養場所選定の意思決定支援へつながること
●療養の場に対する患者さんやご家族、医療者の認識のズレを修正し、方向性を一致させるには、早期からの退院調整や話し合いを重ね患者にとっての最善は何かを考え、慎重に選択する必要があるということ
退院して自由に動きたいという強い想いを持つ、胃がん終末期のAさん
A氏は70歳、自分の考えや意思をしっかりと相手に伝える女性です。そして、家事もすべてこなす自立心の強い女性です。進行胃がんの横行結腸浸潤による大腸狭窄に対し大腸ステント留置後退院となっていましたが下痢の持続、倦怠感増強、貧血進行のため再度入院となりました。血液データが改善したところで、食事摂取量が安定すれば退院方向でしたが、発熱や頻繁な嘔気・嘔吐、下痢などの持続により入院継続となっていました。A氏は退院して自由に動きたいという強い想いがありましたが、身体症状のために自宅に帰って元のように過ごせるのかという不安も持っていました。医師に対して毎日のように『ずっとここにはおりたくない。いつになったら帰れるん?』と自宅退院の希望を繰り返していました。退院許可がおりず一生を入院生活で終わるのではないかという考えから『こんなところでおったらノイローゼになる。』『ここから飛び降りようと思う』と話し、自分らしさや身体的コントロールの喪失感が怒りのスピリチュアルペインとして現れていると考えられました。そこで症状コントロールを行うことがA氏の日常生活での自立性の向上や自己コントロール感の獲得に繋がり不安も軽減するのではないか、また自宅退院も可能になるのではないかと考え、医師と相談しながら服薬調整を行うことにしました。
「自宅退院か? 転院か?」 希望の自宅退院に向けて、多職種と情報を共有しながら準備
主な症状は嘔気・嘔吐、発熱、下痢でした。嘔気・嘔吐についてはメトクロプラミド注射を使用していましたが、定期内服へ変更、発熱についてはA氏は血小板も低く鎮痛解熱剤は消化管出血のリスクもあり、予防目的も含め定期内服を考えているがどうかと医師へ相談したところ、腫瘍熱の可能性がありナイキサンが処方されることになりました。下痢はA氏の場合固形便は出ないことは予め説明していましたが本人の強い希望もありロペミンを頓用で試してみることになりました。結果、スパイク熱は出なくなり、排便回数もA氏が満足できる回数には減少しました。しかし、メトクロプラミドにより嘔気はおさまるものの、食べれば嘔吐するということは続いていたので、排便回数の減少も考慮すると腹膜播種や腸管狭窄によるイレウス症状がでているのではないかとも考えられました。ある程度、症状コントロールがついたことで動きたいという意欲が出始めましたが、思うように動けず落胆した様子もありました。その反面ベッドからトイレまで歩行できればなんとかなるなど自宅退院を具体的に考えている様子も伺えたので、多職種と情報を共有しながら退院にむけての準備をすすめました。家族へは自宅退院に向けての受け入れ確認を行いました。夫は自宅退院について気持ちが揺れているようでしたが、息子たちも家庭があり仕事の都合上常時の支援は難しいとのことで自宅退院の希望は叶わず転院方向となりました。
最後までA氏の希望を断つことがないように、看護師間で想いを一つにして続けた関わり
A氏は転院をどうしても良くは受け止めることができていないようでした。転院を待つ間にも病状は進行しているようで、内服によるコントロールにも限界が来ていました。それでも自宅退院を諦めきれないA氏に対し、A氏にとって最善の療養場所はどこなのか考え、スタッフ間で思いや情報の共有を行い、定期的にカンファレンスで話し合いました。A氏には「今の症状から考えると転院し入院継続しながら状態の良いときに外出できるほうが良いのではないか。」と看護師の思いも伝えながら時間をかけて関わっていきました。すると「そうやな。病院でおったほうが安心ではあるけどな。」と希望の転院先などの話ができるようになりました。自宅退院しか考えていなかったA氏が、身体症状がコントロールできることで気持ちに余裕ができ現状を理解できたことも一つの要因と考えられます。その後、看取りの時期が近づいてきていることをスタッフ皆が感じ取っていました。しかし、A氏の病気を治すということ以上に、自由に動きたいという想いの方が強く、A氏らしさの現れであり、それが生きる希望に繋がっていると理解し、最後までA氏の希望を断つことがないように看護師間で想いを一つにして、関わり続けました。