日常から「相手の存在を認めた行動」を意識していたからできた連携~本人や家族がどうありたいのかという視点を大切にした意思決定支援~

入退院サポートセンター

 当院では、予定入院となった患者・家族へ、入退院サポートセンターで入院前面談を行っています。入院日には、入院担当から、退院調整看護師に情報提供があり、退院時には、外来や在宅サービスへつなげています。今回の事例は、入院前面談で「スクリーニング要」となり、入院前(外来)から関わった患者さんです。

希望する治療が不可能であることを告げられた患者さんに、様々な選択肢を提供しながらのケア

 Mさんは70代男性。食道胃接合部がん・頸部転移のある患者さんです。ご家族は妻との2人暮らしで、長男は近所に在住、長女は東京在住でした。化学療法中でしたが、反回神経麻痺による嚥下困難で、1食に2時間かけて食事をされていました。そして、誤嚥性肺炎を繰り返していた為、胃瘻造設目的で入院となりました。今回の入院は、Mさんと家族にとって、今後の治療方針変更の決断と、在宅生活準備期間となりました。
 入院時の初回面談時、Mさんと妻の意向の確認を行いました。「夫は自宅での療養を希望しています。夫の意向に沿いたいと思っています。」「東京の娘夫婦が、ケアマネをしているので、アドバイスはもらえるけれど、分からないことだらけです。」等、妻は話されていました。本人はやや神経質で、質問は妻を通してのことがほとんどでしたが、妻がいる時は、穏やかな表情をされていました。患者本人の希望に、妻や家族が寄り添われているご家族だと感じました。
Mさんは、入院3日目に胃瘻を造設したものの、熱発と喀痰量増加等、かえって肺炎が悪化してしまい、結局、胃瘻造設が上手く行きませんでした。病状に合わせて、主治医から何度も説明がありました。悩んだ結果、化学療法はもうしない、経口摂取をあきらめる選択をされ、腸瘻造設になりました。
 腸瘻造設に至る過程で、Mさんや家族は、今後について「治療をあきらめてでも、できるだけ長生きして自宅で過ごしたい」と希望されました。その希望を受け、主治医は「外来通院できる間は外来通院。外来通院が厳しくなったら入院」と話し、Mさん・妻の思いを受けとめました。主治医の言葉に、本当に安心した表情をされていました。往診医選定も、ご家族は希望されましたが、Mさんは希望されませんでした。

退院に関わる問題点の明確化と目標を本人・家族と共有し、具体的な社会資源の調整を提案

 腸瘻造設して自宅退院が決定した後、病棟看護師と退院調整看護師、栄養士は、Mさん・家族の納得のいく意思決定支援・介護に対する家族支援のため、退院調整カンファレンスを重ねました。想像以上に、Mさんと妻の腸瘻からの栄養注入に対しての不安は大きかったのですが、病棟看護師は2人の在宅に向けての気持ちに寄り添いながら、指導を行いました。病棟看護師から、栄養の注入後のストッパーの代わりとして、チューブクランプ を利用するという提案があり、妻からチューブクランプ購入の依頼もありました。腸瘻注入手技に自信がつくと、患者・家族の、在宅に向けての気持ちの準備は進んでいきました。 Mさんや妻からの質問も増え、退院調整看護師は、質問の都度病室へ訪問させていただきました。

 自宅で過ごす最後の時間が長く取れ、家族が力を合わせ充実感に結びついた退院後の連携

 訪問看護・ケアマネジャーにつなぎ、介護保険認定調査を待って、自宅退院となりました。
 退院後2週間は、毎日、訪問看護を受けられ、徐々に生活も落ちつかれました。訪問看護より、定期的に訪問時の様子がFAXで届き、Mさんと家族の様子が伝わってきました。
 3回目の外来通院時に、余命宣告をされ、緩和ケア病棟で最期を迎えることに決めました。その3日後に、訪問看護師より、在宅で過ごすぎりぎりの状態と連絡が入り、家族の意向の確認を訪問看護師に依頼しました。
 意識も低下しており、救急車で来院しました。1泊外科病棟へ入院となり、次の日に緩和ケア病棟へ転棟され、2日後に亡くなられました。
この事例を通し、本人や家族がどうありたいと思っているのかという視点を常に持ちながら関わることの大切さを改めて感じました。住み慣れた地域でMさんらしい暮らしを人生の最後まで続けることができたのは、Mさんの気持ちに寄り添い介護されたご家族の力と、その患者・家族の気持ちを尊重し、病院から在宅まで多職種と連携しながら対応した看護の力が大きいと感じました。