幼いころから身近な病院

mitoyo-1602-story01近藤里奈

看護師として働く母の背中を見て育った私は、中学を卒業するまでは看護師になりたいという夢を持っていました。しかし高校を卒業する時には、将来の目標は「理容師になりたい」というものに変わっていました。ところが理容学校を経て理容師になって2年間働いたころに「やっぱり看護師になりたい」という気持ちが高まっていきました。そして看護学校に進むことを決め、理容師はやめることにしたのです。
看護学校に入って感じたのは「こんなに大変なのか…」という驚き。入学して手渡されたテキストの山に、気が遠くなりそうでした(笑)。勉強が進むと、看護師は、相手のことや疾患のことを同時に考えて判断する仕事だというのが難しく、母はこんなに大変な仕事をしながら私たちを育ててくれたのだと、感謝の気持ちが湧いてきました。
ここ三豊市は私が生まれ育った街なので、当院は幼いころから身近な病院でした。「看護師として働くならここだ」と、自然に自分の中で決めていて、新卒で当院に就職することになりました。

先を予測して今の看護を考える

配属されたのは集中治療室。テレビでしか見たことのない世界に初めは戸惑い、わからないことばかりだったのですが、プリセプターの先輩はいつも穏やかに指導してくださり、いろんなことを教えていただきました。今の私がこうしていられるのも、先輩のおかげだと感謝するばかりです。また、これまで患者さんからも多くのことを学ばせていただきました。中でも忘れられないのは、全身熱傷で運び込まれた方のことです。
熱傷の場合、急性期は循環動態の変動や感染に注意を要し、皮膚の回復のためにも安静が必要です。しかし状態が安定してきたら、運動機能の低下を防止するためリハビリが必要になります。しかしその方は、リハビリが開始になっても消極的で動いてくれません。入院前は独居であり、退院後も一人で暮らすことになると分かっていたので、身の回りのことは自分でできるように、運動機能の維持は重要でした。看護師は、少しでもリハビリ意欲を高められるように言葉をかけ、一緒に実施し、出来たら褒めるという働きかけを繰り返しました。すると徐々にリハビリにも意欲を示すようになってくださいました。

常に疑問を持って考えられる看護師になりたい

集中治療室は、急性期の患者さんが入られるので、初めは命を救うことが優先されます。しかし、少し回復が見られたら、次は退院後の生活を見越して、今、援助すべきことを考える必要があると思います。先輩たちは、いつも「この人の退院後はこうだから、これがいるよね」とアドバイスをくださり、私はハッとするばかり。そんな時に、私はまだまだ今のことしか見えていないと反省する毎日です。
ただ、心掛けているのは、ルーチンでやっていることに常に疑問を持つということです。常に物事を深く考えられる看護師になるのが私の目標。たとえば、この人にこの処置はまだ必要なのか?とか、モニターは24時間必要か?というように、当たり前にしていることに疑問を持って、不要であれば医師にも相談・提案していける看護師になりたいと思っています。