皮膚・排泄ケア認定看護師 政田美喜

このままで良いのだろうか?という迷い

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師になった最初の職場で、箸にも棒にもかからないどんでもない看護師と言われ続け、びっしり1年間しごかれたことが現在に至っています。看護師になって数年が経ったころの事でした。私は看護師という仕事に対して「このままで良いのだろうか」という疑問を抱きはじめたのです。私個人のあり方、看護師という職業のあり方について、現状がBESTなのだろうか?と思う日々が続き、疑問を晴らすために、何か一歩を踏み出したいと考えました。そこで、東京で開催されていた、海外でETナースの資格を取得した看護師らが主催する講習会に参加することに。この講習会で「こんな世界があるんだ」と視野が広がった私は、仕事の合間を縫って講習会のお手伝いをしようと決めたのです。当時も私は香川県に住んでいたのですが、年休を使って年に2回は東京へ行き、講習会の手伝いを。そんな日々が続いた頃「5年後君は輝いているか?イメージできるか?」と問われました。看護師としては将来何ができるかを探していた当時の私は返す言葉が見つからなくて・・・。ただ「5年後の自分は輝いていたい」そんな想いはハッキリと持っていました。「そのためには世界に出ろ!」それが返ってきた言葉だったのです。

アメリカに渡ってETナースを取得

今やっていることを“ゼロ”にして、もう一度自分を問い直そう。色々考えるうち、そんな決意に至った私は、ETナースの資格取得を視野に入れ、アメリカに留学を決めました。
アメリカでは、世界トップ3に挙げられるクリープランドクリニックで看護を学び、ETナースの資格を取得。その後日本に戻り元の職場に復帰しました。
看護師として現場で働きながら、専門看護師として学術的に研究を続けるプロセスでは、様々な矛盾やギャップを感じることも度々。学際的な場において議論されている内容は、現場とあまりにも乖離していて、理想論ばかりが述べられていると感じたのです。

そして再び海外へ

「これでいいのだろうか?」そんな疑問が再び私を襲いました。もっと自分に物事を見据える力をつけたいという想いから、再び“ゼロ”になって考えたいという結論に至り、海外に出ることに。学位取得を視野に入れ、次はオーストラリアに留学したのです。
アメリカ、オーストラリア、そして日本と3つの文化や看護職の現状、システムの異なる環境を体験して、今後自分はどう考えるかを追求し、自分なりには何らかの答えを持って帰国。そして帰国後に認定コースの教員を始めたのです。しばらく教育を行いましたが、現場を持たずに教育をすることはできないと実感。海外を知った私ですが、日本の臨床を離れて長いため現場の状況を知らないことには教育はできないと思い臨床に戻ったのです。
私の仕事は、看護の底上げ、そして地盤づくり。当院に就職してからは、まずは医師に看護の専門性を認知してもらうことから始めました。また、患者さまにも看護の役割、専門性を認知していただけるようにも勤めました。看護師が専門性を発揮するための環境づくりが、今の私に課せられた大きな役割だと感じています。

現在の役割

具体的な行動としては、問題がある患者さまがいれば看護師からコールをもらって看に行く。問題解決に向けてどのように工夫するかを、まずは看護師に見せて、次に一緒に考えながらやってもらいます。問題は早急に対応することが合理的であり、私が不在の時も電話でコンサルをします。アウトカムを見込んで、これだけのことをやってほしいと提案。そして看護師と一緒に評価をするんです。
医師に対しても、問題に対する解決策をアドバイス。コミュニケーションを円滑にとり、実際の回復過程を診ていただけば、医師は必ず私たちの専門性を認めてくれます。そして医師との協働が始まるんです。看護師でなければ出来ない仕事、看護師だからこそ治療の質を上げることができるをモットーに日々教育や実際のケア実践をしています。