「患者さんの反応」に焦点を当てた看護を自分なりに考える楽しみを見つけた新人時代

豊嶋宏仁
子どもの頃から、看護師という仕事には興味がありましたが、高校生の時の看護体験が自分の進路を決めたように思えます。患者さんと話す、そして同時にケアをすることができない私のそばで、話しながら難なくケアをしている看護師さんの姿に憧れを感じました。また、単純作業が苦手な私には、一見すると、同じ行為をしているように見える看護の仕事は、一人ひとりの患者さんが違い、人によって反応も違えば、看護師の対応も違うのでたいへん魅了されました。新人の頃を振り返ると、その1年間はしんどさ7割、楽しさ3割だったというのが正直なところです。「自分に何ができるんだろう」というのを探すのが大変で、知識と技能が不十分、その上、毎日の変化に追いつけない、そんな日々を過ごしていました。ただ、夜勤をするようになってからは、先輩への相談する機会も増え、次第に仕事の視野や幅も広がり、「こうしてみよう、ああしてみよう」と自ら考えて、進んで実践するようになってきました。そして、患者さんとのコミュニケーションが深まるようになってきて、しんどさよりも楽しみが増えていきました。新人時代の前半は、「いったい、私は何をしていたんだろう」という記憶しかありませんが、後半は、「患者さんの反応」に焦点を当てた看護を自分なり考えるようになり、この仕事の魅力を感じるようになってきました。

その都度、患者さんの反応を振り返り、関わり方に仮説を立てて、ひと工夫加えることを大切にしたい

私が、看護をする上で大切にしていることは、「患者さんの反応を常に振り返る」ということです。同じことを言う時に人によって変えるというのはもちろんのことですが、同じ人に対しても、また、仮に同じ内容を伝えるにしても、その時々で適切な伝え方でコミュニケーションを取ることができるようにしたいというのがその理由です。伝えるタイミング、声のトーン、話すスピード、ものの言い方・・・すべて、患者さんが良い方向になるためにすることで、反応をしっかり振り返ることで、「あの人、本当はこうなんじゃないかな」といろいろ仮説を立てて、ひと工夫加えて関わるようにしています。それと、「落ち着いて看護をする」ということを大切にしています。例えば、呼吸状態が悪い患者さんは、苦しいからナースコールで私を呼びます。患者さんはしんどいので焦っていますが、知識のない新人の頃の私も現場で焦るばかりです。焦るばかりで何も解決しないのですが、そういう時こそ、何が必要なのかを落ち着いて考えることが大切ということを経験しました。例えば、この患者さんには「息の仕方」を教えると、患者さんは落ち着きました。まだまだ、先輩の姿を見たり、相談したりしながらではありますが、自分が関わったことの振り返りを積み重ねていくことで、「落ち着いて看護をする」ことを自然とできるようになりました。私にとって「落ち着いて」というのは、患者さん、家族、私の状況を、完璧には整理できなくても、それぞれの視点で一定の整理をして仕事に臨むということです。

患者さんの家族に対する「想像力」と「創造力」の壁を乗り越えて適切な介入ができるようになりたい

もうすぐ看護師になって4年目を迎えますが、患者さんの家族に対する関わりについてもっと考えていきたいと思っています。例えば、終末期の患者さんが、自宅で生活をしたいという希望をお持ちだとします。患者さんの生活範囲を考え、疾患を持ちながらどのような生活が可能なのかを考えなければならないのはもちろんのこと、ご家族の受け入れ態勢も勘案しなければなりません。患者さん、ご家族、それぞれの気持ち、立場、現状の中で、うまくいくこと、困ることなどを確認したうえで、介入していく必要があるのは言うまでもありません。それが実践できるように、関連する知識や技能をどんどん身に着けていきたいと思っています。今は、病棟担当のソーシャルワーカーに頼り切りなので、患者さんやご家族からそういう話を十分に聞けていませんし、聞いたとしても適切な提案ができないのが私の現状です。自宅に帰りたくないという患者さんは本当に言葉通りそう思っているのか、また、ご家族も患者さんが自宅に帰ってくることを手放しで喜んでいるが、本当に不安はないのか・・・そういう想像力が今の壁ですし、適切な提案ができる創造力もまた壁だと認識しています。もっといろいろな人から学び、この壁を乗り越えて、看護師として成長したいと思います。