生まれ育った街に戻って

看護師 岸上智景
story051「智景は看護師になったらどうや?」小学生のころ祖父に言われたその言葉がきっかけで看護師になりたい気持ちが芽生え、その想いがブレることなく高校卒業後は看護学校への進学を決めました。
私が生まれ育ったのはここ三豊市ですが、看護学校卒業後は地元を離れて岡山の病院に就職。元々数年たてば地元に戻ろうと思っていたこともあり、看護師経験を4年積んだときに三豊市に帰ることにしました。
当院への就職を決めたのは、子どものころから知っている病院という親近感と、地元で唯一の総合病院だったのが理由。また、看護学校の同窓生が働いていたことが、ここに就職することへの安心感を与えてくれました。同窓生が一人ひとり地元に戻ってきて、今は当院に看護学校の同期が6人いて、心強い仲間になっています。
就職当初に思ったことは、訪問看護やわたつみ苑(老健施設)が隣接しているので継続看護が実践できるという期待でした。また家族の元、生まれ育った街で働くようになり、私の気持ちが穏やかになったような気がしました。

名前を覚えてくださっていたことに感激

当院に就職後は整形外科病棟への配属となり、それ以降ずっと整形外科の看護に携わっていますが、看護のよろこびを感じるのは、歩けずに入院して来られた患者さんが、手術を受けて、リハビリに取り組んで徐々に回復される姿を見る時。歩いて帰られる後姿を見送るときには「本当によかった」と、こちらもうれしい気持ちになります。
看護師になってからうれしいと思った出来事は、退院してしばらくたって再会した患者さんが、私の名前を覚えてくださっていたことです。日ごろ「看護師さん」と呼ばれることに慣れているので、退院後も名前を覚えてくださっていたのは感激でした。
当院では、勤務の初めに受け持ち患者さんには、勤務の受け持ち看護師が名前を書いたカードをもって挨拶に行くのですが、相手に名前を伝えて覚えてくれたらうれしいし、また名前を伝える以上、責任をもってその日の看護をするよう心を引き締める時間にもしなければと思っています。当病棟にはご高齢で意思疎通が難しい患者さんも多いのですが、転倒の予防など、できる限り安全面に配慮しながら看護するよう心がけています。

もっと患者さんに近づきたいと思う

今の私自身の問題としては、業務に追われているということ。決まった処置をして、手術だしをして、リハビリの送迎をして・・・そんなことの繰り返しで、患者さんとゆっくり話す時間がつくれません。個別の看護計画を立てたいけれど、患者さんを充分理解できないと上司に相談すると「患者さんに接近する意識が大切。患者さんの理解は特別に時間をつくらなくてもできるはず」とアドバイスを受けました。「清拭の時間でも、リハビリの送迎中でも、患者さんと接する時間はいくらでもあり、その時に、この患者さんを知りたいという気持ちあれば理解はできる」と助言をいただいたのです。そう考えると何気ない会話を生かすも殺すも看護師の意識次第なのだと思いました。特別に時間をつくって情報を得ようとか、机に向かってアセスメントをしなければという意識を捨てて、援助の中から情報をつかみ、チームのメンバーと常にアセスメントを話し合う、そうすることで私の問題は解決できると考えました。
これまで看護をするうえでは患者さんの自立の支援を第一に考えてきた私ですが、これからもその気持ちを大切に、ただその時、患者さんご自身が自立をしたいと考えられるような働きかけができるよう、もっと「患者さんを知りたい」という強い気持ちで近づいていきたいと思います。

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西8病棟スタッフより
小学生の頃から看護師になりたいという思いがぶれることなく継続され、本当に看護師の道を選んだ事は、素晴らしいと思いました。また、ストーリーを読む中で、自分も日々繰り返される業務に追われ、患者さんとゆっくり話をすることができていない事に気付かされました。そして、それは自分の気持ち次第で変えることができるという事も教えてもらいました。私たちも「患者さんを知りたい」という気持ちを大切に、患者さんの気持ちに寄り添える看護師になりたいと思いました。